在りし日の姪浜旧駅舎(1975年)。
寄棟造りの屋根で、筑前高宮と同じ造りでした。青色の駅名板は仮駅にもそのまま使っていた。 |
1979年
左と何が変わっているかというと、植え込みが変わっているくらいか? |
単線なので列車交換待ち。10分くらい待たされるのは当たり前(1975年頃) 左奥の西日本銀行は今も健在。 |
先頭はキハ30であった。後方の愛宕山の中腹のマンションは今もよく目立っている。(1975年頃)
駅の周りには何もなく、地下鉄が乗り入れている現在は想像もつかない。 |
キハ58系の急行平戸と列車交換。駅員が通票を持っ走ってくる。(1975年頃)
編成はキハ58+キハ28+キハ58のはずで、所属は竹下か長崎だったと思う。少なくとも東唐津ではない。 |
パノラミックウインドウのキハ58が先頭に立つ急行平戸。(1975年)駅の南側は草藪だった。 |
(1979年)
出発信号機のテコ
姪浜駅ホームを西向きに撮影
左奥の西日本相互銀行は、西日本銀行に変わり、さらに西日本シティ銀行と名前が変わったが、位置はほとんど変わっていない? |
(1979年)
姪浜駅ホームを西向きに撮影。
踏切より先はほとんど何もない。 |
(1979年)
博多行き列車が到着
先頭(右の車両)はキハ26 600番台 |
(1979年)
博多行き列車。キハ26 600番台で、すでにロングシートになっている。 |
(1979年)
博多行き列車。キハ26 600番台を後ろから撮影。 |
|
そして、新しい駅へと変わる
|
姪浜仮駅の工事が始まった。南側にホームを作って移設する。(1979年頃?)
姪浜東側から駅方面を撮影。拡大すると旧駅との関係がわかる。 |
かなり本格化し始めた。(1979年頃?) |
上記の旧駅ホームは新駅の真下である。
完成間近の姪浜駅の南脇を、旧仮線は走っていた。(1983年1/16)
仮ホームは南側に設置され廃止まで移動はなかったがこれより西側の線路の移動の順番は、
1.北側に仮線で移設。この先の踏切を大胆にも斜めに横切って北側に出ていた。
2.高架線が出来てから、上の写真のように南側へ仮線移設。
3.廃止。
「2.」の時(撮影時)の仮線は地下鉄車庫の中(北側)を通り抜けていた。 |
仮駅舎の外側。新駅の真下である。(1983年1月15日?) |
最後の仮駅舎。プレハブだが、駅名板は旧駅舎の物をそのまま使っていた。(1983年) |
仮駅のホーム(1983年) |
(2003.12/21)
左と同じ場所から写す。 |
仮駅での列車交換(1983年) |
(2003.12/21) 左と同じ場所から写す。 |
姪浜仮駅に進入する下り列車。このホームは旧駅の写真のホームの南側空き地に相当する。(旧駅の下り線とこの上り線がほぼ同じ位置になる)(1983年1/16)
|
(2003.12/21)
|
右側には、地下鉄の高架駅がほぼ完成している(1983年1/16)。 |
(2003.12/21)
左の写真のホーム屋根下あたりの現在の風景。 |
姪浜の硬券は手元にはこれしか残っていない。廃止される訳でもないので買わなかったみたいです。 |
(2003.12/21)
20年前の筑肥線電化以前は田圃や野原だった場所も、今は見違える様。左に12.5kmのキロポストが見えるが、これは筑肥線のもの。姪浜が起点になった今でも、0kmでないことに注意。 |