鳥飼駅

鳥飼駅は今の城南区鳥飼5丁目と6丁目の南端にありました(昔の住居表示では塩屋町1丁目)。現在は城南区役所や保健所などの公共機関などが建っています。開業は大正14年(1925年)6月15日、廃止が昭和58年(1983年)3月22日なので約58年で幕を下ろしたことになります。
博多駅まで15分という利便さから廃止直前まで利用者は多かったようです(私もその1人でしたが)。地下鉄七隈線でも、この速さで博多駅には行けない。もっとも、七隈線が博多駅まで出来れば15分くらいで行けるかもしれない。

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駅舎正面(1983年1月頃)
屋根はトタン葺きであるが錆だらけであった。

駅入り口付近(1983年1月頃)
右の建物は自転車預かり所。ここの主人は、人の顔を見ただけで、ちゃんとその人の自転車を出してくれた。

上の写真の左側(1983年1月頃)
もっと昔は、ここの左側で貨物の積み卸しをやっていた。

昔は、駅には必ず日通の営業所があった。

駅舎全景(1983.3)

左と同じ位置から撮影(2003.3.28)
駅の位置には城南区役所(右の建物)などが建っている。

(1974年頃)
鳥飼駅構内全景:西向きに撮影。このころは線路内を歩いていても特に注意されることもなく、長閑(のどか)な時代であった。 転轍機小屋は何時撤去されたのかわからないが、下の廃止直前の写真ではなくなっている。多分、貨物扱いが無くなって、貨車の入れ替え作業が無くなったので撤去されたのと思う。

鳥飼駅を出発した下り列車。乗客の服装に時代を感じる。(1966年)
客車はスハ42。

左の写真を撮影したのはこのあたりか(白線のところ)?(2003.3.28)
鳥飼駅の西南部に当たる。正面の木の後ろは城南区役所。

最後尾はオハフ61
左の写真を撮影した頃の客車編成は私のメモによると、門タケ:(東唐津) スハニ32 43+オハ61 1514+オハ61 1512+オハ61 1513+オハ61 1511+オハ35 256+スハ42 28+オハフ61 1505 (博多)であった。

鳥飼駅の西側の踏切から鳥飼駅の全景を見る。(1968年頃)

左の写真を撮った位置は、正面の交差点の真ん中。(2003.3.28) 右に行くと城西中学、左に行くと中村学園前に出る。手前が旧鳥飼駅。

鳥飼駅東側の別府陸橋(現国道202号線)下。
新しいポイント(10番両開き:40N)に取り替える工事をしていました。(1974年頃)
この左脇には畑があるが、ここは、鉄道用地で、多分勝手に使っていたようだ。

左の写真と同じ位置は、左に駐車しているトラックのあたりだろうか。(2003.3.28)
国道202号線別府陸橋付近。

上のポイントが使用されているが、約9年でその使命を終えてしまった。(1983年頃) 筑肥線は電化される前は、スプリング(発条)ポイントが主流であった(矢羽根の「S」に注意)。

キハ35系、キハ20系、キハ10系のバラエティに富んだ編成であった。列車によっては、さらにキハ55系、キハ65、キハ58系が入っている列車もあった。
ディーゼルカーのすぐ上に「添田不動産」の看板が見えるが、この場所は現在「ケイズブルーイングカンパニー」という地ビールの製造販売のお店になっている。

上り列車は階段を避けて停車する。そのため先頭から何両かはホームからはずれてしまう。

下り列車を待つ(1975年)

雨の日の鳥飼駅(1975年)
ホームには一部しか屋根がないので傘が必要。まだ、キハ17系が現役だった。

(1983年)
博多行き列車の到着。ホームは乗客でごった返している。とてももうじき廃止になるとは思えない。この列車は先頭にキハ58+65+58の急行車両が連結されているが、これは博多で折り返し、急行「平戸」となる編成の回送である。客扱いは行っていたので、夏にはこの3両だけが筑肥線で冷房が入っていた。3両の真ん中は必ずキハ28か65で、冷房の電源車として使っていた(キハ58は冷房用の発電機は持っていない)。

(1998.9.19)
左と同じ位置から撮影。
画角が違うので比較がしにくいが、左の写真で、道路の部分が歩道に、下り線が車道になっていて、ホームあたりが城南区役所の建物になっている。

1984.3
廃止後の鳥飼駅。陸橋方向を撮影。ホームには、横断する道路の切り欠きがある。

1984.3
陸橋下から西新方向を撮影。

(1969年)
別府踏切の立体交差化工事。
別府陸橋(現国道202号線)の西側橋台工事。前方の家は現在ビルになっている(右2つ上の写真の真ん中の細いビル)。その後ろに出発信号機(腕木)が見える。

(1969年)
別府陸橋(現国道202号線)の西側橋脚工事。橋脚の右に踏切の警報機が見える。
2つ上の写真はちょうどこの橋脚の真上から撮影。

出来たばかりの別府陸橋の下を行く下り列車。場内信号機の脇を行くキハ17+35の2両編成。(1970年頃)
右はまだ鬱蒼とした林である。(撮影TN)

左と同じ地点からの撮影(2003.6.21)
線路右の森はなくなってビルと佐賀銀行になってしまった。昔の名残は左の道路のカーブと左端に見える本屋(文弘堂)ぐらい。

出来たばかりの別府陸橋で欄干も新しい。六本松方面を見ると一番高い建物はポール右の九大教養部である。西テツ(鉄)バスが懐かしい
(1970年頃)(撮影TN)

上の写真の廃止1年後の写真(1984.3)
安藤外科の建物だけは変わっていない。

上記陸橋から撮影。赤外線カラーフィルムで撮影。本当は青色カットフィルターを着けないといけなかったので、白黒みたいな画像になってしまった。赤色の所は緑色です。(1971年頃)駅の南(左)側はまだ平屋建てが目立つ。

別府橋付近を行く博多行き列車(上記参照)(1983年)。

左と同じ場所で撮影してみた(2003/3/28)
陸橋本体と、それに登る階段ぐらいしか面影はない。2002年頃に「リボリ」がなくなって「am pm」になったが、現在はファミリーマートになっている

上の列車が樋井川を渡って博多へ向かう。(1983年)
河岸の踏切は、油山(右へ)に向かう道路で、踏み切り信号機があり、遮断機が下りていなければ一旦停止は必要なかった。
まだ、油山観光道路が全通する前。

早朝、DE10の牽引で博多行き客車列車が樋井川を渡る。1両目はオハフ33だろうか?(1983年)
客車は竹下、DE10は香椎(操)の所属だったと思う。昭和43年頃まではC11牽引だったし、オハ61系(1500番台)だった。

左とほぼ同じ場所(2003/3/28)
鉄橋はコンクリート製の道路橋に変わった。
安藤外科と中央左奥の緑色屋根のアパート?は変わらない。

上記列車の最後尾はオハニ36。
ドアは開放で、今では安全性から、考えられない状況であろう。

樋井川の鉄橋は廃止後撤去されたが、現在は上の様な道路橋が架けられている。博多方面を望む。

上記と同じ場所(何時撮ったかは不明だが1968年頃?)。編成の続きは右の写真。

キハ30+10+10+10と4両とも両運のディゼルカーの編成だった。とすると、トイレはどうしたのだろうか?
車両の右横に「−ケット」の文字が見えるが、これは別府橋マーケットである。この頃は現202号線の北側、別府橋のたもとにあった。

1968年頃の樋井川橋梁から鳥飼駅を望む。まだ、国道202号線の陸橋は出来ていない。というより、まだ国道ではなかったが、腕木信号機の先にその踏切が見える。この頃は、バスは、車掌が降りて誘導していた。そのうち、誘導免除の看板が建って、この光景は見られなくなった。(いま、そんな法律があったことさえ忘れられている)
腕木信号機が進行方向右にあるのに注意! 本来は左にあるべきであるが、手前は見通しの悪い大きなカーブになっていて、運転席から見やすくて、初めて見えるときに左側になればよいので右側に設置されていた。
写真左に安藤外科(まだ平屋建て)が見える。この時代にはまだ安藤外科のビルは出来ていない。 パン屋の「リボリ」や佐賀銀行もまだない。それらの建物が出来る前は、きれいな小川であって、トンボや蛍もいた。

左の写真の小笹よりの、カーブの途中の地点から鳥飼駅の方向を見た。今の油山観光道路より少し別府橋よりで、十字路の真ん中を線路が横切っていた。左の写真を撮った踏切が先の方に見える。この先の場内信号機が見えないので中継信号機がカーブの途中に設置されていた。

上の写真の35年後の姿(2003_9_28)
まわりはマンションだらけになってしまった。カーブした道路が線路跡であることを物語っている。

キハ58を先頭に東唐津行きが到着(1983.3)

左と同じほぼ位置?(2003.3.28)
写真左は城南保健所の建物。


鳥飼駅最後の日(1983.3.21)
最終列車(下り東唐津行き終列車)を待つ人もまばらでセレモニーもない。

鳥飼駅最後の日(1983.3.21)
このとき、場内・出発信号機とも腕木信号のワイヤーも切られ、手信号で合図をしていた(交換する列車は、もうないのだからそれでいいようだ)。最終列車が通過すると、各踏切では即座(数秒以内に)に撤去作業が始まっていた。

当時は鳥飼駅のすぐそばに住んでいたので一番お世話になった駅である。そのせいか、いろいろな形式の切符が手元に残っている。
S58.3.21発行の240円の切符は鳥飼駅発行の最後の切符(のはず)。最終列車に乗ったときに改札口には私より後には誰もいなかったからであるが、降りてきた人に記念に売ったかどうかは不明である。


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