下山門−今宿(長垂)

長垂付近の工事が複線化で一番難工事だったと思われる。
基本的には、海岸沿いの旧線をトンネル改修のうえ、上り線として復活させたことと、トンネル西口から鯰川橋梁までの崖の開削である。


1998.12/23 今宿を出て長垂トンネルに向かう。この200m位の区間のみ北側に線路を移動した。姪浜方向

1998.12/23 鯰川橋梁を行く。
右側には下り線のためのコンクリート橋を作っている。下り線の橋台だけは、すでに電化の時に作っていた。この先の右側の崖は削り落とし中であった。姪浜方向

1998.12/23 長垂トンネル
右側が電化に際して作られたトンネルで現在下り線として使っている。左側に、旧長垂トンネル入り口が見える。すでに改修は終わっているようだ。姪浜方向

1998.12/23 長垂トンネル東口を出たところ。
左側は、旧線を改修して上り線として使う工事中。姪浜方向

1998.12/23 長垂トンネル東口。今宿方向

1998.12/23 長垂トンネル東口を唐津に向かって行く103系。今宿方向

1998.12/23 長垂
砂利とレール、枕木が置いてあって、もうすぐ線路を敷設するようである。土台のコンクリート壁が古いのは旧線の再利用であるから。姪浜方向

1998.12/23 旧線時代、ここはけもの道的な踏切であった。現在は、遮断機・警報機付きの踏切に変身している。左側にある階段を登ると毘沙門天がある(と書いてある)。今宿方向

1998.12/23 旧長垂トンネル東口
旧線時代はレンガ積みだったが、架線を張れる様に改修されている。今宿方向

1998.12/23 旧長垂トンネル西口
昔もかなりカーブがきつかったのでスピードが出せなかったが、今でも線形は変わっていない。姪浜方向

1998.12/23 先の方にラメール会館前の崖の掘削工事が見える。左は上り線の路盤。今宿方向

1998.12/23 長垂トンネル西口
左にSカーブを描く上り線の路盤が出来ている。姪浜方向

1998.12/23 ラメール会館前
左の崖を削って、下り線を通す工事の最中。今宿方向

1998.12/23
鯰川に架かる橋梁の下り線が工事中。橋の中央付近に16.8kmのキロ程がある。姪浜寄りの16.5kmのキロポストから200mしかないのに。今宿方向

1999.8/8 長垂トンネル東側
現在の上り線を行く下り前原行き1000系。
上の写真の8ヶ月後。今宿方向

1999.8/8 長垂トンネル東口
線路の切り替えの都合で手前の線は使われていない。新しくなった旧線(現上り線)を行く福岡空港行き103系。今宿方向
電化前の旧線は数メートル下の方にあって、この区間は、Sカーブと勾配の変わり目で、50km/hの徐行区間だった。現在は勾配が改良されたので昔のような速度制限は無い。(といっても100km/hも出せるわけではないが)

1999.8/8 長垂トンネル東口
左上と同じ地点。姪浜方向

1999.8/8
下り唐津行き?103系。今宿方向

1999.8/8 旧長垂トンネル東口
毘沙門天に行く参道の踏切。踏切脇に16 kmのキロポストが復活した。福岡空港行き1000系。今宿方向

1999.8/8 旧長垂トンネル東口
ここから姪浜側は路盤をかさ上げしたため、擁壁は新しくなっている。姪浜方向

1999.8/8 長垂トンネル西口。今宿方向
新しくなった旧線上を行く1000系。

1999.8/8 長垂トンネル西口。姪浜方向
手前の線路は使われていない。

1999.8/8 ラメール会館前。今宿方向
切り通しの工事はほぼ終わり、踏切の下り線を少し左に移動する工事を行っている。

1999.8/8 左に同じ。16.5kmのキロポストが踏み切り手前に放置されている。この200mくらい先のキロ程は、何故か16.8 km。??。今宿方向

1999.8/8 
旧線の再利用はやはりカーブがきついようだ。姪浜方向

1999.8/8 下り線の敷設がほぼ終わっていた。今宿方向

1999.8/8
下り線の敷設が着々と進んでいた。姪浜方向

1999.8/8
前原行きが工事脇を通過。姪浜方向

1999.8/8
手前の線(下り線)は踏切の部分がまだ出来ていない。今宿方向

1999.9/19
1ヶ月後には、この区間の複線化は完成していた。姪浜方向

1999.9/19
右側の崖の切り崩しは、たぶん一番の難工事だったように見える。姪浜方向

2003/12
長垂隧道東口付近。右が旧線を利用した上り線。今宿方向

上記の写真を拡大すると、不自然な距離標が見える。16.6kmのすぐ手前に16.7kmの距離標がある。どう見ても間隔が100mあるとは思えない。姪浜方向