路線が縮小された後の貝塚車庫(1978年)
500形のみとなってしまった。
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全部で8線の留置線があった。 |
貝塚車庫の庫内の様子。(1968年頃)
最新鋭の連接車(1205)とその向こうは502 |
散水車1が電気機関車202(手前の車両)の奥にいた。たぶん、もう使われなくなっていたと思う。
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貝塚には宮地岳線の車庫(多々良工場)がすぐ横にあります。
以下に1968年頃の写真を載せておきます。 |
宮地岳線の車庫には電気機関車の202がいた。201は、三井三池にすでに転出していて、202だけが残っていた。
第2エンド側 |
右が第2エンド |
右が第2エンド |
右が第2エンド |
左が第1エンド |
左が第1エンド |
202の側面の写真
右が第1エンド |
同左
左が第2エンド |
当時は宮地岳線の主力だった14。(1968年頃) 付随台車と電動台車が違う。 |
同左 |
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