西新電停


(1975年)
西新の交差点に建っていた煉瓦作りの建物。私の記憶では、この建物は、電車の営業所だった。

(2004.5/3)
左の建物の位置にはドンキホーテが建っている

(1975年)
右から入ってくる線路は城南線。

(1975年)
狭い道路に安全地帯でさらに狭くなっている。

(2004.5/3)
道路が手前に広がって通りやすくなった。


(1975年)
西新の分岐点。右は城南線


(1975年)

(2004.5/3)
右角の商店街は道路拡幅で立ち退いて、その跡に岩田屋西新店が出来たが、それも撤退してしまい、現在はプラリバに変わった。

(1975年)

(1975年)
姪浜方面へ向かうトラックでいっぱい。歩道もなかった。

(2004.5/3)
このあたりは左側に道路が拡幅されたので、だいぶ印象が変わった。奥の白いビルは変わっていない。

(1975年)
廃止数日後の西新界隈。架線ははずされたが架線支持ワイヤは残されたまま。
おまけのお話
 西新脇山口の交差点のちょっと西側(交差点から10mぐらい)にデッドセクションがありました(左写真の位置)。これは、配電する変電所の区切りのためだと思われます。その無電区間の長さは、パンタのシューの幅より数センチ長くて30cmぐらいだったと思います。従って、この無電区間にパンタのシューが入るように止めることは神業なのです。普通はこのような無電区間は問題にならないのですが、場所(交差点の手前ということ)が問題だったようです。
 特に、この交差点で信号停車で2両目になったときが問題で、たまに(年に数回)この場所に停まってしまう電車がありました。当然、電気が来ないので電車は発車出来なくなってしいます。仕方がないので後から来た電車に(連結棒をつけて)押してもらっていました。電車の前面下の排障器の上に連結棒がのっていましたが、このためにあるのだと(?)実感しました。
 昔は高校の窓からこの交差点がよく見えたので、「またやった」と喜んで見ていました(不謹慎ですが)。