六本松電停


国体道路は現在の202号線のこと
国体道路は昭和23年の国民体育大会に際して作られた道路であるが、このとき道路拡張等が行われたのは警固から柳原(赤坂3丁目?)を経て六本松の区間であった。現在の様に、「国体道路」=「けやき通り」が大濠交差点の方に伸びたのは昭和40年代になってからであるので、「国体道路」と呼んでよいのだろうか?。


(1975年)
六本松の城南線と国体道路との交差点。

(1975年)
右の木が植わっているところは、九大教養部。

(1975)
電停後の三和珈琲館は残念ながら2019/12/25をもって閉店しまいました。

(1975)
三和書房も場所は変わっていない。

(1975年)
六本松を出発して練塀町への上り坂に向かう。先の交差点は現在の202号線である。

(1975年)
折り返し用の渡り線付近を進入する。スプリングが入っているのは左側のポイントだけ。

(1975年)
草香江からのカーブを曲がって六本松へ向かう。

(2003年3月)
左の28年後の風景。黒いビルと米屋は変わっていない。旅館はなくなってコンビニになってしまった。

(1975年)
六本松電停付近を行く。

(1975年)
六本松止まりの電車は渡り線を使って折り返してゆく。渡り線は渡辺通方面にしか折り返せなかった。

(1955年8月)
六本松電停の南側には、西鉄バスの折り返し場があった。ちょうど九大(旧)教養部の前である。
ボンネットバスや車掌さんの姿が懐かしい
このあたりに、確か「街頭テレビ」があった記憶がある。写真の日傘の女性は私の母である。

左の写真と同じ場所ではないが、右の九大旧教養部正門の正面あたりが、左の写真の位置。
(2003年3月)
48年の歳月は風景を変えてしまった。